Shiro Tsujimura and the Wonder of Tea Bowls

辻村史朗と茶盌の不思議



「茶盌ってホンマ不思議なもんなんですよ。
 色々作ってきたけど、こういうもんは他にはないですねぇ。」



焼物の中で、茶盌はとても不思議な存在だ。何せ値段が他のものと比べて圧倒的に高い。「これが茶盌か茶盌じゃないかで、似たようなもんでも値段がちゃう。」と冗談を言う辻村さん。

 お米を中心とした日本で、茶盌ほど日常的な器はない。どこの家庭にも必ず一つはあるであろうお茶碗。地球上様々な文明や地域で太古の昔から、使い尽くされてきた最もシンプルな形の器。



ある禅宗の高僧が、朝の勤めを終えて抹茶を喫す。お茶を楽しんだあと、1時間でも2時間でも時を忘れて、茶盌のあらゆる場所を見つめ、撫で回し、赤子をあやすかの如く茶盌を抱く。「こうして毎日茶盌を抱いていたら、ええことありますよ。」そう言って笑っていた。


あるアメリカの友人は、今日の一盌を選び、とっておきの場所におく。フランク・ロイド・ライトが設計した三角形に迫り出した窓から差し込む光や、家の脇を流れる川の水面に反射する光が茶盌を照らす。朝から晩まで、時間と共に変化する光が照らす茶盌を眺めて過ごす時間が、人生の最高の時間の一つだと手紙をくれた。


あるロシア人の実業家は、たくさんの辻村茶盌を買い求めロシアに持ち帰り、その茶盌を鑑賞するためだけの部屋を作った。ビジネスの厳しい重圧から自分を解き放ってくれる唯一の場所として、その部屋で茶盌に触れることが人生の癒しであり慰めだと言う。

 





日本民藝館で一つの大井戸茶盌と出会ったことから、辻村さんは焼物を、茶盌を作ることを始める。その出会いを、後にこう書き残している。

・・・・。今になって考えてみると、なんて気持ちの安らぐ茶盌だろうか、・・・それはむしろ茶盌というより、人間と相対しているような状態、大母性大慈悲心と向かい合っているような心持ちになったとしか表現できません・・・。

茶盌を覗き込むとそこには宇宙がある、そんなことを誰かが言ったそうだが、ある種の人たちにとっては本当に宇宙そのものなのだろう。手にする人とそういう関わり方をする焼物が他にあるだろうか。

 用のものである茶盌。覗き込むとそこには、茶だまりがあるだけである。そこに宇宙を「見つける」ことができるかは、その持ち手自身にかかっている。茶盌はとても不思議な存在だ。






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